何のために生きるのか

こんにちは、とよへいです。

昨日友人と就活の話をしている時に、就活を始めるにあたって、なんのために生きているのかを3か月くらいかけて死ぬほど考えたって話をしたら笑われました。


考えている人は多いと思ったんだけどな。
だって、仕事選びって、自分がどう生きて行きたいかと直結するし、それってなんで自分が生きてるのかってことと直結しそうじゃないですか。

せっかくなんで、黒歴史保存がてらに、「なぜ私は生きるのか」ということについて考えたことを書きたいと思います。

 

生きる意味ってあるの??
これを考えるにあたって、僕は「生きる意味」というものを、「神様(世界・万能の存在)が存在して、それらから与えられるもの」と仮定しました。つまり、人は何かのために神様や世界といったものから生を授かるということです。(神様がいないならそもそも生きる意味は存在しえないので、ここでは神様がいると仮定します)
結論から言うと、僕は「生きる意味」というものはないと思います。なぜなら僕は今、「生きる意味」を自覚していないから。
どういうことかというと、もし僕が神様なら、全員が生まれた瞬間に自分の「生きる意味」を自覚できるように仕込んでおくと思います。そうすると、誰もが自分が生まれた意味を自覚して、そのために一生を全うするでしょう。一部の人だけが「生きる意味」を自覚できていて、「生きる意味」を自覚できずに死んでいく人がいるのは、とっても非効率で下手糞です。神様がわざわざ「生きる意味」を自覚する人としない人を選ぶ理由がある??
でも、「生きる意味」を自覚しているって言う人がいるじゃないか、って話もあります。「生きる意味」を見出しているように見える人は、おそらく誰かから「生きる意味」を与えられたんじゃなくて、ただ単に自分で「どう生きたいか」を決めているだけだと思います。スケートの選手とか、将棋の羽生さんやとか、天命を聞いているように見える人も、実はただ単に自分で自分の生き方を決めているだけ。

 

生きる意味があるかないかは、実はあんまり本質的ではない。
そもそも、なんで生きる意味があるかどうかなんて考えるかというと、たいていが生きる意味がないんだったら、自分はこの世で生きている意味はない。死んでもいいんじゃないか?考えるからじゃないでしょうか。でも、そもそもなんで生きる理由も死ぬ理由も探してんねんって話ですよ。
本当に大事なのって、「今自分は生きたいのか、死にたいのかどっちだ」ということだと思うんです。「生きる意味」なんてのは、全然本質的ではない。生きたいって思った時点で、生きる意味があろうがなかろうが生きるしかないし、死にたいって思った時点で死ぬしかないのだから。そして、死にたいって言ってるのに、「生きる意味」を考えるのは、本当は生きたいからだと思います。少しでも生きたいと思うなら、それがもう生きる理由です。

 

生きる意味を考え続けて、僕が出した結論は結局これです。
生きたいか死にたいかを考えて、生きたいと思うなら、後は自分が「どう生きたいのか」を考えて決めるだけです。たぶんそこら辺は、良い悪いは特にないと思います。ナチス時代のドイツではユダヤ人を迫害することが良いことだと考えられていたように、時代によって移ろいゆくものなので。良い悪いではなく、自分が納得できればなんでもいいと思います。

仕事を選ぶにしても、自分がどう生きたいかを決めて、それに沿って仕事を選べば満足できるんじゃないかと思って、仕事を探しています。
そんな感じです。