ドイツの難民キャンプで4か月間働いた話

 

こんにちは、最近までドイツに留学していた大学生です。留学期間の半分を使って、ドイツのミュンヘンにある難民キャンプ(以下難民施設)でインターンをさせていただいたので、何かの役に立てばと思い、僕の経験をお話ししようと思います。

 

難民問題に関わろうと思った理由

僕がドイツの難民問題に関わろう、何かをしようと決めたのは、ちょうどこの記事を書いている半年前の、2015年11月13日に、フランスのパリでISISによるテロ事件が発生した時です。
その時僕はドイツでの1年間の交換留学の真っただ中で、留学前半が終わり、冬休みのヨーロッパ周遊旅行の計画を立てていました。
そんな中での、パリでのISISによるテロ事件。日本にいる両親や友人からの僕のことを心配する連絡に加え、留学生の中でも、冬休みの旅行の計画を考え直さなきゃという気軽なものから、ISISやそれを取り巻く環境に関する議論まで様々なざわめきがありました。
そんな中で目にしたのが、Facebookプロフィール画像をフランス国旗の柄に変え、Pray for Parisとタイムラインに投稿する日本の人々の光景です。
その時僕の中に怒りに似たようなものを感じました。その理由は、一つは、世界のニュースで報道されていた中東やアフリカのたくさんのテロによる犠牲者には何も関心を向けないのに、パリに行ったこともないし、友人がいるわけでもない人々が、わざわざプロフィールの色まで変えて、何かのプロパガンダのごとくPray for Parisと唱えていたからです。僕の目には、それはただの自分の感性をPRしているだけに見えました。
それに加え、何よりもイライラしたのは、じゃあそういう人たちが実際に何かパリのためになることをしたのかということです。
僕は、ISISがテロ行為を行って、人が死ぬことには日本の責任もあると思っています。世界の今の均衡状態からたくさんの利益を得ているんですから。極論ですが、今中東で問題が起こっていることで、日本は何も心配することなく、平和で豊かな暮らしが送れていると思います。

そういうことを思い、僕は残り半分の留学生活を使い、ドイツにいる「日本人」として、この世界が引き起こした難民問題に関わり、少しでもこの問題で苦しむ人たちの力になりたいと考えました。
難民キャンプの情報は、日本語はもちろんのこと、英語でもほとんど集めることはできませんでした。最終的にはミュンヘンにたくさんの難民が押し寄せているという話を聞き、ミュンヘンに行けば何か具体的なボランティアなどの情報が得れるのではないかと考えて、とりあえず行ってみることにしました。そこで、ある難民施設に訪れた際に、ボランティアがしたいならうちで働いてみないか?と声をかけてもらい、相談の上日本でいうところの無給インターンのような形で受け入れてもらうことになりました。
僕が当時参考にしていたサイトのリンクを載せておきます。
ベルリン:

http://givesomethingbacktoberlin.com/


ミュンヘン

Home - Action for Refugees in Munich


ニュース:

www.theguardian.com


その他:

wie-kann-ich-helfen.info

 

難民施設について
僕が働いていた難民施設は、最終的には15か国・800人以上の難民が住む、ミュンヘンで最大の難民施設になりました。また、施設での制度が優れていることから、ミュンヘンがあるバーバリアン州(日本でいる関西や四国みたいなもの)で1番の評価で表彰もされました。
800人の難民の国籍は、具体的には中東からはアフガニスタン、シリア、パキスタンイラク、イラン、トルコ(ISISなどの中東問題による)。またアフリカからはソマリア、ナイジェリア、ファジー、スーダンセネガル(ボコハラムによるテロ行為など)などです。

ドイツの難民キャンプの大半は、ドイツ政府や、州の政府から資金を得る民間の企業が運営しています。僕が働いていたのも、そうした企業の中の一つで、ドイツ全土で医療やソーシャルケア領域で事業を展開していた会社で、難民危機を機に難民施設を運営する事業を始めたらしいです。

難民施設内の話
ここから先は、難民の方々や施設で働く職員の方々が何をしていたかということを、僕が知る範囲でご紹介したいと思います(ちなみに難民の方々のことを、施設ではゲストと呼んでいました)。
まず職員の方を。私がいた施設には3つの部署があり、過去に難民や移民としてドイツに来た方など、様々な国籍・バックグラウンドを持つ方々が約20人働いていました。出身国の例を挙げると、スコットランドハンガリー、イラン、モロッコトーゴエチオピアなどです。また年齢層も様々で、19歳から65歳に及ぶ、実に多様な人たちが一緒に働いていました。
バックオフィスである、House Managementという、政府などの他の機関との交渉や、施設全体の出来事の管理を行う部署。難民の方々に対し、ドイツ語の授業やサッカーの練習やイベントなどのレクリエーションを提供するSocial Office。そして、ゲストや来訪者からの要望などを最初に聞くフロント業務を行う部署です。翻訳者の方々はこちらの部署にいました。警備員や清掃員、給食員、工務作業員に関してはすべて外注していました。

 

難民の方々について

私がいた、難民施設は、難民申請が終わった難民の方々が、仕事を見つけて自分たちで生活を営めるようになるまでの期間に住む施設でした。

 

何を食べているか
1日3食、朝昼夜に指定された時間内に、施設内のカフェテリアにて、給食のような感じで配給されます。施設にキッチンはなく、別の場所で作ったものを、施設に持ってきて盛り付けるという感じです。またキッチンがないので、難民の方々は自分で料理をすることは、施設内ではできませんでした。出される料理は、基本的にはスープやソーセージなどのドイツの料理。パスタなどのヨーロッパの料理、そしてトルコの料理がほとんどでした。料理の質は、当然ですが、外で食べたほうが断然おいしいと思います。特に豆のスープなどは特にアフリカ人には合わないらしく、よくご飯が美味しくないという話をしていました。また、施設の職員も基本的には同じ料理を食べていました。

 

難民の人々の生活
私のいた施設では、最初は6階建てのA棟に、1・2階は家族向け、3~6階は単身の男性向け。5階建てのB棟が新しくできてからは、単身男性向けのA棟、家族向けのB棟という風に、分けて運営されていました。ちなみに施設自体は、両方とも以前電機会社のオフィスとして使用されていたものを、改修して使用していました。最終的な人数としては、単身男性が500人、家族が300人ほどだったと思います。
A棟の部屋に関しては、基本的に3人部屋で、1つの階に100人ほど住めるようになっています。それぞれの部屋には天井がなく、簡単なパーテンションで部屋同士を区切っています。ロッカーとベッド、布団などの基本的に必要なものは施設から支給されていました。B棟に関しては、半分はA棟のような感じで、もう半分は個室となっており、個室は幼い子供がいる家族に提供されていました。
難民の方々は、電力・安全上の理由から、パソコン・テレビなどの電子機器の持ち込みは制限されていました。
また彼らは、ドイツ政府から生活費として月に180ユーロ(日本円で2万円ほど)を支給されており、月末にソーシャルオフィスに取りに行っているようでした。

 

仕事について
低賃金での労働者を増やせるということもあって、難民を受け入れたドイツですが、かといってすぐに働き始めれるかというとそうでもありません。まず、ドイツで働く資格を得るのに、3か月以上ドイツに滞在している必要があります。その期間が終わると、基本的に仕事に応募できるようになるのですが、大抵の仕事は一定以上のドイツ語力が求められます。難民の方の中には、英語やフランス語が堪能な方が結構な数いるのですが、ドイツ語となると、ドイツで習い始める方がほとんどですので、応募に足るほどのドイツ語力はありません。また、働き始めるのにはミュンヘンの州政府から許可証のようなものを受け取る必要があるのですが、滞在から3か月以上たってもそれを受け取ることができないというのはざらでした。許可証を発行する州政府の期間が完全にキャパオーバーだったみたいです。

 

ドイツ語の授業について
ドイツ政府が、すべての難民にドイツ語の講義を提供すると決定したこともあり、私のいた施設でもドイツ語の講義が無料で開講されていました。無料のドイツ語講義は2種類あって、ボランティアが週1で教えるものと、ドイツ語教師が週3くらいで教えるものです。ボランティアが教えるものは、週に1回1時間と教える回数が少なく、また教える側もドイツ語を教えた経験が多いわけではないので、もう片方のドイツ語教師が教える講義の方が人気がありました。ただ、もちろん、どちらも私たちの施設にいた800人に提供できるほどのキャパがないために、常にランダムで選ばれるのを待っているという状態です。
施設の外でのドイツ語の授業も紹介されていますが、そちらは有料で、お金に余裕がある人だけが受講できていたという印象です。

 

ドイツの人々の難民に対する意識
年末にケルンで難民たちが大きな問題を起こしたこともあり、ドイツ世論はどちらかというと反移民政策に動いているように思います。施設にいた難民の友達からも、僕たちが難民だと知ると、ドイツの人々は僕たちを嫌悪の目で見たり、冷たく接してきたりするんだ。と話していたこともありました。
ただ、それとは逆の動きもあって、僕が留学していたビジネス大学では、難民問題に対して社会起業を考えるという講義。外部の講師を呼んでの、難民問題に関するパネルディスカッションや、難民がドイツ経済に与えるポジティブな影響に関する講演なども行われていました。(余談ですがその話のオチで、日本がNursing society (介護社会)を選んだのに対し、ドイツはMulticultural nursing society (多文化介護社会 )になりそうだねって言ってて皮肉が聞いてるなーと思い笑ってました。難民を受け入れても、高齢化を食い止めるには全然足りていないためです)
また、僕と一緒に施設で働いていた人はもちろん、ボランティアとして、私たちの施設を訪れる人がかなりの数いたので、難民を受け入れ彼らにドイツ社会に適合してもらって、この危機を何とか乗り切ろうと思っている方もたくさんいるのも事実です。

 

難民の子供の教育
僕が知っている限りだと、ドイツでは17歳以下の子供たちは学校に行くことを許可されていました。ただ、学校では講義は当然ドイツ語で行われるため、結構苦労をしていたように思います。
また大学に関しては、基本的には入学は許可されていなかったと思います。ただ、ディプロマ(卒業証書?)があると、大学の講義を、単位はもらえないけど受けることができる制度もあるらしいです。
また、これは僕がネットで見つけたものなのですが、「キロン大学」という、難民の若者向けのオンライン大学をクラウドファンディングで初めた人がいるらしいです。このキロン大学は、高校とかの卒業資格もいらないし、授業料もいらない。2年間オンライン上で講義を受けた後、1年間提携先の大学に行って直接講義を受けることができる。さらに卒業後はきちんと大学の卒業資格を得れるというもの。
ただ、僕の施設ではパソコンの持ち込みはできないため、難民の友達と、仕事見つけて外で暮らせるようになってから、この大学に応募してみるよという話をしていました。
日本語の記事があったので貼っておきます:

jp.globalvoices.org

キロン大学のHPはこちら:

kiron.ngo


ドイツになじめるようにする工夫
僕が認識していた、難民の方々がドイツになじめるような工夫としては以下のようなものがあります。まずは当然ですが、ほぼ全員に提供されていたドイツ語の授業。そして、Social Officeや外部のボランティアによって提供されていた様々なアクティビティです。アクティビティには、料理教室や編み物教室、キッズルームなど施設内で行うものから、サッカー・バスケットボールの練習、市内探索など外の場所を使ってするものがありました。ちなみにサッカーの練習に関しては、バイエルンミュンヘンが協力してくれていたらしく、バイエルンミュンヘンのコーチ陣がサッカーを教えていたらしいです。

 

個人的に思う問題点
僕が4か月間難民施設にいて感じた、今のドイツの難民政策に関する問題点をお伝えします。まず、こんなにたくさんもの難民が一度にドイツに押し寄せるのは、ドイツにとっても初めてなので、この課題をうまく処理できる人材が足りていない。そのため、他の難民施設ではほぼ毎日、何かしらの大小さまざまな問題が起きていたらしいです。また、州政府の難民申請に関わる部署に十分な人がおらず、手続きの遅れやミスがめちゃくちゃ多い。人を簡単には雇えない。
その反面、僕は、難民危機はドイツの人々にとってもある種のチャンスになっていると思っています。そう思った理由は、僕が最終的にホームステイをさせてもらうことになった同僚が、大学を出ていないにも関わらず、23歳という若さで施設の管理責任者の職についていたからです。そういったプロジェクトマネジメントの職は、大学で経営学などの学位を得た人が付くのが普通らしいのですが、そもそもこういった事業を経験した人がいないので実力次第でチャンスが回ってきます。彼は高校卒業後、アフリカのソーシャルセクターで働いていたことがあったので、今回の職を得れたと言っていました。
また、僕が働いていた企業は、ミュンヘンの州政府から新たに20棟の施設を立ててくれないかと要請されていたらしいです。さすがに人員が十分に確保できないため、5棟までとしたらしいですが、多くのお金がこの領域に流れるについて、新しいチャンスもまた生まれているように思います。

 

最後に
ドイツへの難民の流入は、今はほとんど止まっていると聞いています。ただ、冬を終え暖かくなってくると、中東問題の状況次第では、またどんどん流入してくるんじゃないかとも言われています。今後、ドイツの難民問題がどうなっていくかは、ミュンヘンでできた友達の話を聞いたりしながら、ずっと情報を集めて行こうと思います。
そのため、もし何か質問などがあったら、ツイッターなどを使ってお気軽に連絡してください。一人でも多くの日本人が、この難民問題に興味を持って、何か行動をしてくれたならば幸いです。


それでは。

 

そうだ難民しよう!  はすみとしこの世界

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