70歳まで働くにはどうするか

高齢化が進んで、「70歳まで働くにはどうすべきか」みたいな話があると思うのですが、それについて考えてみたことをまとめます。 

では、そのキャリアを実現する為にはどうすればいいか。発想の転換をして、70歳までに働いて稼ぐ分の給料を50歳までに稼いでしまったらいい。つまり、サラリーマンの生涯賃金を50歳までに稼いでしまったらいい。というキャリアハックを考えました。

ちなみに、サラリーマンの生涯賃金は、大企業勤めのサラリーマンで大体3億円くらいらしいです。

生涯賃金2.5億円 サラリーマン収入がホントか計算した - きりんの自由研究

サラリーマンの生涯年収とは 学歴や企業規模をふまえて解説 | マナラボ

 

大企業のサラリーマンくらいの生涯年収があれば、お金に困ることなく暮らしていけるだろうと考えて、今回はこの3億円を目標に考えて行きたいと思います。

 

シュミレーション

そして50歳までに3億円を稼ぐにはどうしたらいいかってお題の元、ぼくがかんがえたさいきょうのきゃりあぷらんがこちらです。

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※ ぼくはソフトウェアエンジニアとして働いているので、エンジニアのキャリアという欄がありますが、あまり関係ないと思うので無視してください。

また、役職と年収のテーブルは、一般的なベンチャー企業の給与テーブルを参考にしました。

スタートアップ・ベンチャー企業の取締役になると給料はいくらか - ゼロイチ起業ノート

なぜベンチャー企業なのかというと、年功序列ではなく能力で評価される会社が多く、素早く高い年収を得るには大企業よりも適切だと考えたからです。

ざっとみた感じどうでしょう。案外行けそうだ感ありませんか??

まとめ

ぼくが30分くらいで作った年収テーブルなので、穴だらけだと思いますが、50歳までに年収3億円を達成する為には、どれくらいの年収が必要なのかという感覚は掴めるかと思います。

ベンチャー企業への転職を考える方のために、アフェリンクを貼っておきます。

 

余談

今回、50歳までに3億円を稼ぐにはどうしたらいいかってシミュレーションをしてみましたが、個人的には将来人間が働く必要がなくなっているって考えています。

どっちに転んでもいいように、どっちのプランも考えておきましょう。

 

おわり

 

就活でしんどい時に、元気を出す方法5こ

昨年就活をして、今は社会人一年目です。8月まで内々定。6月に文系総合職から、エンジニアに志望を切り替えた自分が、ほぼ毎日吐き気に襲われた状況をなんとか乗り切ったTipsです。

苦しむ就活生の一助になれば。

 

1. 泣く

人間泣いたら気持ちがすっとします。自分は就活で瀕死の時は、意図的にほぼ毎日泣いてました。

泣けるきっかけを自分の中でオススメしておくといいと思います。

自分の場合、amazarashiというバンドの光、再考って曲を聞いて泣いてました。

 

2. 死ぬ間際の自分を想像する

老人になって、ベッドで死にそうになってる自分を想像します。その自分になって今の自分の状況を思い出してみます。そうすると、今の自分の状況は、死ぬ間際の自分にとっては苦笑いが浮かぶ笑い話か、黒歴史になっていると思います。どっちにしろ、死ぬ間際の自分にとっては取るに足らない状況です。苦しんでる今も、そんなに大したことないです。

 

3. 出歩く

人間、家に引きこもるよりも外に出た方が脳が働いて色々考えれます。ただ、外に出ても吐き気は止まりません。吐き気が止まらなくても、まあそんなもんなので大丈夫です。

 

4. 友人に会う

自分1人で出来ることではないので、すこしハードルが高いです。できるだけ、自分のことを批判してこない友人がいいと思います。面接官よろしく、就活のことを聞きまくって来るのは最悪です。優しくしてくれる人に会いましょう。

 

5. 美味しいもの食べる

就活生は基本お金ないので、かなりハードル高いです。知り合いの社会人に奢って貰いましょう。渋谷の東京トンテキは、リーズナブルでボリュームがあって美味しいのでオススメです。

 

短いですが以上です。あまりにしんどいなら、頑張らずにもう1年就活するのも全然ありだとおもいます。

ドイツの難民キャンプで4か月間働いた話

 

こんにちは、最近までドイツに留学していた大学生です。留学期間の半分を使って、ドイツのミュンヘンにある難民キャンプ(以下難民施設)でインターンをさせていただいたので、何かの役に立てばと思い、僕の経験をお話ししようと思います。

 

難民問題に関わろうと思った理由

僕がドイツの難民問題に関わろう、何かをしようと決めたのは、ちょうどこの記事を書いている半年前の、2015年11月13日に、フランスのパリでISISによるテロ事件が発生した時です。
その時僕はドイツでの1年間の交換留学の真っただ中で、留学前半が終わり、冬休みのヨーロッパ周遊旅行の計画を立てていました。
そんな中での、パリでのISISによるテロ事件。日本にいる両親や友人からの僕のことを心配する連絡に加え、留学生の中でも、冬休みの旅行の計画を考え直さなきゃという気軽なものから、ISISやそれを取り巻く環境に関する議論まで様々なざわめきがありました。
そんな中で目にしたのが、Facebookプロフィール画像をフランス国旗の柄に変え、Pray for Parisとタイムラインに投稿する日本の人々の光景です。
その時僕の中に怒りに似たようなものを感じました。その理由は、一つは、世界のニュースで報道されていた中東やアフリカのたくさんのテロによる犠牲者には何も関心を向けないのに、パリに行ったこともないし、友人がいるわけでもない人々が、わざわざプロフィールの色まで変えて、何かのプロパガンダのごとくPray for Parisと唱えていたからです。僕の目には、それはただの自分の感性をPRしているだけに見えました。
それに加え、何よりもイライラしたのは、じゃあそういう人たちが実際に何かパリのためになることをしたのかということです。
僕は、ISISがテロ行為を行って、人が死ぬことには日本の責任もあると思っています。世界の今の均衡状態からたくさんの利益を得ているんですから。極論ですが、今中東で問題が起こっていることで、日本は何も心配することなく、平和で豊かな暮らしが送れていると思います。

そういうことを思い、僕は残り半分の留学生活を使い、ドイツにいる「日本人」として、この世界が引き起こした難民問題に関わり、少しでもこの問題で苦しむ人たちの力になりたいと考えました。
難民キャンプの情報は、日本語はもちろんのこと、英語でもほとんど集めることはできませんでした。最終的にはミュンヘンにたくさんの難民が押し寄せているという話を聞き、ミュンヘンに行けば何か具体的なボランティアなどの情報が得れるのではないかと考えて、とりあえず行ってみることにしました。そこで、ある難民施設に訪れた際に、ボランティアがしたいならうちで働いてみないか?と声をかけてもらい、相談の上日本でいうところの無給インターンのような形で受け入れてもらうことになりました。
僕が当時参考にしていたサイトのリンクを載せておきます。
ベルリン:

http://givesomethingbacktoberlin.com/


ミュンヘン

Home - Action for Refugees in Munich


ニュース:

www.theguardian.com


その他:

wie-kann-ich-helfen.info

 

難民施設について
僕が働いていた難民施設は、最終的には15か国・800人以上の難民が住む、ミュンヘンで最大の難民施設になりました。また、施設での制度が優れていることから、ミュンヘンがあるバーバリアン州(日本でいる関西や四国みたいなもの)で1番の評価で表彰もされました。
800人の難民の国籍は、具体的には中東からはアフガニスタン、シリア、パキスタンイラク、イラン、トルコ(ISISなどの中東問題による)。またアフリカからはソマリア、ナイジェリア、ファジー、スーダンセネガル(ボコハラムによるテロ行為など)などです。

ドイツの難民キャンプの大半は、ドイツ政府や、州の政府から資金を得る民間の企業が運営しています。僕が働いていたのも、そうした企業の中の一つで、ドイツ全土で医療やソーシャルケア領域で事業を展開していた会社で、難民危機を機に難民施設を運営する事業を始めたらしいです。

難民施設内の話
ここから先は、難民の方々や施設で働く職員の方々が何をしていたかということを、僕が知る範囲でご紹介したいと思います(ちなみに難民の方々のことを、施設ではゲストと呼んでいました)。
まず職員の方を。私がいた施設には3つの部署があり、過去に難民や移民としてドイツに来た方など、様々な国籍・バックグラウンドを持つ方々が約20人働いていました。出身国の例を挙げると、スコットランドハンガリー、イラン、モロッコトーゴエチオピアなどです。また年齢層も様々で、19歳から65歳に及ぶ、実に多様な人たちが一緒に働いていました。
バックオフィスである、House Managementという、政府などの他の機関との交渉や、施設全体の出来事の管理を行う部署。難民の方々に対し、ドイツ語の授業やサッカーの練習やイベントなどのレクリエーションを提供するSocial Office。そして、ゲストや来訪者からの要望などを最初に聞くフロント業務を行う部署です。翻訳者の方々はこちらの部署にいました。警備員や清掃員、給食員、工務作業員に関してはすべて外注していました。

 

難民の方々について

私がいた、難民施設は、難民申請が終わった難民の方々が、仕事を見つけて自分たちで生活を営めるようになるまでの期間に住む施設でした。

 

何を食べているか
1日3食、朝昼夜に指定された時間内に、施設内のカフェテリアにて、給食のような感じで配給されます。施設にキッチンはなく、別の場所で作ったものを、施設に持ってきて盛り付けるという感じです。またキッチンがないので、難民の方々は自分で料理をすることは、施設内ではできませんでした。出される料理は、基本的にはスープやソーセージなどのドイツの料理。パスタなどのヨーロッパの料理、そしてトルコの料理がほとんどでした。料理の質は、当然ですが、外で食べたほうが断然おいしいと思います。特に豆のスープなどは特にアフリカ人には合わないらしく、よくご飯が美味しくないという話をしていました。また、施設の職員も基本的には同じ料理を食べていました。

 

難民の人々の生活
私のいた施設では、最初は6階建てのA棟に、1・2階は家族向け、3~6階は単身の男性向け。5階建てのB棟が新しくできてからは、単身男性向けのA棟、家族向けのB棟という風に、分けて運営されていました。ちなみに施設自体は、両方とも以前電機会社のオフィスとして使用されていたものを、改修して使用していました。最終的な人数としては、単身男性が500人、家族が300人ほどだったと思います。
A棟の部屋に関しては、基本的に3人部屋で、1つの階に100人ほど住めるようになっています。それぞれの部屋には天井がなく、簡単なパーテンションで部屋同士を区切っています。ロッカーとベッド、布団などの基本的に必要なものは施設から支給されていました。B棟に関しては、半分はA棟のような感じで、もう半分は個室となっており、個室は幼い子供がいる家族に提供されていました。
難民の方々は、電力・安全上の理由から、パソコン・テレビなどの電子機器の持ち込みは制限されていました。
また彼らは、ドイツ政府から生活費として月に180ユーロ(日本円で2万円ほど)を支給されており、月末にソーシャルオフィスに取りに行っているようでした。

 

仕事について
低賃金での労働者を増やせるということもあって、難民を受け入れたドイツですが、かといってすぐに働き始めれるかというとそうでもありません。まず、ドイツで働く資格を得るのに、3か月以上ドイツに滞在している必要があります。その期間が終わると、基本的に仕事に応募できるようになるのですが、大抵の仕事は一定以上のドイツ語力が求められます。難民の方の中には、英語やフランス語が堪能な方が結構な数いるのですが、ドイツ語となると、ドイツで習い始める方がほとんどですので、応募に足るほどのドイツ語力はありません。また、働き始めるのにはミュンヘンの州政府から許可証のようなものを受け取る必要があるのですが、滞在から3か月以上たってもそれを受け取ることができないというのはざらでした。許可証を発行する州政府の期間が完全にキャパオーバーだったみたいです。

 

ドイツ語の授業について
ドイツ政府が、すべての難民にドイツ語の講義を提供すると決定したこともあり、私のいた施設でもドイツ語の講義が無料で開講されていました。無料のドイツ語講義は2種類あって、ボランティアが週1で教えるものと、ドイツ語教師が週3くらいで教えるものです。ボランティアが教えるものは、週に1回1時間と教える回数が少なく、また教える側もドイツ語を教えた経験が多いわけではないので、もう片方のドイツ語教師が教える講義の方が人気がありました。ただ、もちろん、どちらも私たちの施設にいた800人に提供できるほどのキャパがないために、常にランダムで選ばれるのを待っているという状態です。
施設の外でのドイツ語の授業も紹介されていますが、そちらは有料で、お金に余裕がある人だけが受講できていたという印象です。

 

ドイツの人々の難民に対する意識
年末にケルンで難民たちが大きな問題を起こしたこともあり、ドイツ世論はどちらかというと反移民政策に動いているように思います。施設にいた難民の友達からも、僕たちが難民だと知ると、ドイツの人々は僕たちを嫌悪の目で見たり、冷たく接してきたりするんだ。と話していたこともありました。
ただ、それとは逆の動きもあって、僕が留学していたビジネス大学では、難民問題に対して社会起業を考えるという講義。外部の講師を呼んでの、難民問題に関するパネルディスカッションや、難民がドイツ経済に与えるポジティブな影響に関する講演なども行われていました。(余談ですがその話のオチで、日本がNursing society (介護社会)を選んだのに対し、ドイツはMulticultural nursing society (多文化介護社会 )になりそうだねって言ってて皮肉が聞いてるなーと思い笑ってました。難民を受け入れても、高齢化を食い止めるには全然足りていないためです)
また、僕と一緒に施設で働いていた人はもちろん、ボランティアとして、私たちの施設を訪れる人がかなりの数いたので、難民を受け入れ彼らにドイツ社会に適合してもらって、この危機を何とか乗り切ろうと思っている方もたくさんいるのも事実です。

 

難民の子供の教育
僕が知っている限りだと、ドイツでは17歳以下の子供たちは学校に行くことを許可されていました。ただ、学校では講義は当然ドイツ語で行われるため、結構苦労をしていたように思います。
また大学に関しては、基本的には入学は許可されていなかったと思います。ただ、ディプロマ(卒業証書?)があると、大学の講義を、単位はもらえないけど受けることができる制度もあるらしいです。
また、これは僕がネットで見つけたものなのですが、「キロン大学」という、難民の若者向けのオンライン大学をクラウドファンディングで初めた人がいるらしいです。このキロン大学は、高校とかの卒業資格もいらないし、授業料もいらない。2年間オンライン上で講義を受けた後、1年間提携先の大学に行って直接講義を受けることができる。さらに卒業後はきちんと大学の卒業資格を得れるというもの。
ただ、僕の施設ではパソコンの持ち込みはできないため、難民の友達と、仕事見つけて外で暮らせるようになってから、この大学に応募してみるよという話をしていました。
日本語の記事があったので貼っておきます:

jp.globalvoices.org

キロン大学のHPはこちら:

kiron.ngo


ドイツになじめるようにする工夫
僕が認識していた、難民の方々がドイツになじめるような工夫としては以下のようなものがあります。まずは当然ですが、ほぼ全員に提供されていたドイツ語の授業。そして、Social Officeや外部のボランティアによって提供されていた様々なアクティビティです。アクティビティには、料理教室や編み物教室、キッズルームなど施設内で行うものから、サッカー・バスケットボールの練習、市内探索など外の場所を使ってするものがありました。ちなみにサッカーの練習に関しては、バイエルンミュンヘンが協力してくれていたらしく、バイエルンミュンヘンのコーチ陣がサッカーを教えていたらしいです。

 

個人的に思う問題点
僕が4か月間難民施設にいて感じた、今のドイツの難民政策に関する問題点をお伝えします。まず、こんなにたくさんもの難民が一度にドイツに押し寄せるのは、ドイツにとっても初めてなので、この課題をうまく処理できる人材が足りていない。そのため、他の難民施設ではほぼ毎日、何かしらの大小さまざまな問題が起きていたらしいです。また、州政府の難民申請に関わる部署に十分な人がおらず、手続きの遅れやミスがめちゃくちゃ多い。人を簡単には雇えない。
その反面、僕は、難民危機はドイツの人々にとってもある種のチャンスになっていると思っています。そう思った理由は、僕が最終的にホームステイをさせてもらうことになった同僚が、大学を出ていないにも関わらず、23歳という若さで施設の管理責任者の職についていたからです。そういったプロジェクトマネジメントの職は、大学で経営学などの学位を得た人が付くのが普通らしいのですが、そもそもこういった事業を経験した人がいないので実力次第でチャンスが回ってきます。彼は高校卒業後、アフリカのソーシャルセクターで働いていたことがあったので、今回の職を得れたと言っていました。
また、僕が働いていた企業は、ミュンヘンの州政府から新たに20棟の施設を立ててくれないかと要請されていたらしいです。さすがに人員が十分に確保できないため、5棟までとしたらしいですが、多くのお金がこの領域に流れるについて、新しいチャンスもまた生まれているように思います。

 

最後に
ドイツへの難民の流入は、今はほとんど止まっていると聞いています。ただ、冬を終え暖かくなってくると、中東問題の状況次第では、またどんどん流入してくるんじゃないかとも言われています。今後、ドイツの難民問題がどうなっていくかは、ミュンヘンでできた友達の話を聞いたりしながら、ずっと情報を集めて行こうと思います。
そのため、もし何か質問などがあったら、ツイッターなどを使ってお気軽に連絡してください。一人でも多くの日本人が、この難民問題に興味を持って、何か行動をしてくれたならば幸いです。


それでは。

 

そうだ難民しよう!  はすみとしこの世界

そうだ難民しよう! はすみとしこの世界

 

 

 

 

 

何のために生きるのか

こんにちは、とよへいです。

昨日友人と就活の話をしている時に、就活を始めるにあたって、なんのために生きているのかを3か月くらいかけて死ぬほど考えたって話をしたら笑われました。


考えている人は多いと思ったんだけどな。
だって、仕事選びって、自分がどう生きて行きたいかと直結するし、それってなんで自分が生きてるのかってことと直結しそうじゃないですか。

せっかくなんで、黒歴史保存がてらに、「なぜ私は生きるのか」ということについて考えたことを書きたいと思います。

 

生きる意味ってあるの??
これを考えるにあたって、僕は「生きる意味」というものを、「神様(世界・万能の存在)が存在して、それらから与えられるもの」と仮定しました。つまり、人は何かのために神様や世界といったものから生を授かるということです。(神様がいないならそもそも生きる意味は存在しえないので、ここでは神様がいると仮定します)
結論から言うと、僕は「生きる意味」というものはないと思います。なぜなら僕は今、「生きる意味」を自覚していないから。
どういうことかというと、もし僕が神様なら、全員が生まれた瞬間に自分の「生きる意味」を自覚できるように仕込んでおくと思います。そうすると、誰もが自分が生まれた意味を自覚して、そのために一生を全うするでしょう。一部の人だけが「生きる意味」を自覚できていて、「生きる意味」を自覚できずに死んでいく人がいるのは、とっても非効率で下手糞です。神様がわざわざ「生きる意味」を自覚する人としない人を選ぶ理由がある??
でも、「生きる意味」を自覚しているって言う人がいるじゃないか、って話もあります。「生きる意味」を見出しているように見える人は、おそらく誰かから「生きる意味」を与えられたんじゃなくて、ただ単に自分で「どう生きたいか」を決めているだけだと思います。スケートの選手とか、将棋の羽生さんやとか、天命を聞いているように見える人も、実はただ単に自分で自分の生き方を決めているだけ。

 

生きる意味があるかないかは、実はあんまり本質的ではない。
そもそも、なんで生きる意味があるかどうかなんて考えるかというと、たいていが生きる意味がないんだったら、自分はこの世で生きている意味はない。死んでもいいんじゃないか?考えるからじゃないでしょうか。でも、そもそもなんで生きる理由も死ぬ理由も探してんねんって話ですよ。
本当に大事なのって、「今自分は生きたいのか、死にたいのかどっちだ」ということだと思うんです。「生きる意味」なんてのは、全然本質的ではない。生きたいって思った時点で、生きる意味があろうがなかろうが生きるしかないし、死にたいって思った時点で死ぬしかないのだから。そして、死にたいって言ってるのに、「生きる意味」を考えるのは、本当は生きたいからだと思います。少しでも生きたいと思うなら、それがもう生きる理由です。

 

生きる意味を考え続けて、僕が出した結論は結局これです。
生きたいか死にたいかを考えて、生きたいと思うなら、後は自分が「どう生きたいのか」を考えて決めるだけです。たぶんそこら辺は、良い悪いは特にないと思います。ナチス時代のドイツではユダヤ人を迫害することが良いことだと考えられていたように、時代によって移ろいゆくものなので。良い悪いではなく、自分が納得できればなんでもいいと思います。

仕事を選ぶにしても、自分がどう生きたいかを決めて、それに沿って仕事を選べば満足できるんじゃないかと思って、仕事を探しています。
そんな感じです。

 

日本と海外の就活事情

こんにちは、就活を間近に控えた、ドイツに留学中の大学生です。

先日、ドイツのあるホステルで、ドイツに来て転職活動をしている30代クロアチア人に出会いました。

ちょうど彼が転職活動中で、僕も就活を間近に控えていることもあって、数時間にわたり各々が抱える求職活動の不安について語り合いましたので、その時に感じたことを色々と書きたいと思います。

 

まず、そのクロアチア人の彼と就活の話をしている過程で感じたのが、就活に関する会話がよくよく噛み合わないということです。

例えばこういう会話がありました。クロアチア人の彼を仮にAとします。

僕「就職する企業選びってどうしたらいいのかな?」

A「君はどういう職種で働きたいの?マーケッター?ファイナンシャリスト?それとも証券アナリストとか?」

僕「そうだね、今のところベンチャーキャピタル(VC)とかいいなって思ってる。」

A「なるほどVCね。だったらこのサイトでVCの募集を探して、会社名と電話番号・メールアドレスをリストアップして、ひとつずつ連絡を取って今も募集をしているか聞いてみたらいいよ。もし、募集をしているようだったら次はCV(履歴書のようなもの)を送って、その次は面接だね。簡単でしょ?」

僕「??????え、あれ、ちょっと待って!」

A「え??何????」

と、まあこんな感じです。

なんで僕たちが混乱したかというと、一つは、日本の採用は新卒一括採用であり、海外の採用は年中採用であるということを、お互い知らない状態で、お互いの前提の上で話をしていたからです。

もう一つの理由は、彼が重点を置いていたのはその会社が「どういう会社なのか」とういうことではなく、「その会社でどういう仕事ができるのか」とだということです。

つまり、僕が就職先は例えば、金融業界または○○銀行などといった「業界」や「会社」で就職先を選ぶものだと考えていたのに対し、彼はマーケッターやファイナンシャリストなどの「職種」で選ぶものだと考えていたのです。

 

この後、お互いの採用事情を共有しながら、日本と欧米の就活の違いについて話を深めていきました。そしてその中で僕が、さらに決定的な違いだと思ったのは海外の採用が「即戦力採用」なのに対し、日本の採用が「潜在能力採用」だということです。

 

少し話が逸れますが、日本の大学生をやっていると、次のような話をよく聞きます。

「日本の就活はクソだ。アメリカみたいに能力で学生を判断しろ。」

「なんであいつは大学の成績は最悪なのに、内定をたくさんもらってるんだ?」

「大学の勉強をするよりも、世界一周した方がいい企業に就職できる。」

「結局は能力があるやつよりも、自己開示がうまいやつが勝つんじゃないの?」

などなど。

正直に言うと、僕もかつて少なからずそう思っていた大学生の一人です。

ただ、今にして思うとそういう考え方はナンセンス以外の何物でもないと思います。

なぜかというと、日本企業の採用活動は、日本の近代歴史と日本企業のあり方を反映したものだからです。

 

 

ご存じのとおり、日本企業は戦後の復興や、高度経済成長の下で「終身雇用制度」や「年功序列制度」などにより、日本経済の成長を支えてきました。これらの制度の存在により、人々は大企業に入ってその会社のために一生を捧げて働くことこそが、一番「安定」して理想の働き方だと信じてきました。

 

これらの制度の下日本の企業は、新卒一括採用で採用した人材を、長い年月をかけて自社で育て上げることで、自社で行う仕事を効率よくできる人材や経営人材を獲得するという手法を用いてきました。これらの戦略の下では、採用の際には経営人材になりうる「潜在能力」と、自社に長く居続けることができる「人間性」(企業文化との適合性)を複数の面接を通して見極めることを重視します。そのため日本の大学生は、就活に際し面接を通過するために「自己分析・企業分析」を就職活動の主な手段として行ってきました。

 

一方海外の企業はというと、経営人材も他の人材も自社で育てるのではなく、必要な時に引っ張ってくるという手段を取っています。そのため、海外の企業は採用の際には、一回か二回の面接に加え、CVや大学の成績を基にその人材の専門性や実用的なスキル、即戦力となりうるかを判断することを重要視しています。

欧米の学生はこの採用方法に合わせて、専門性や実用的なスキルを獲得できる大学に行き、そこで必死に勉強していい成績を取り、また長期のインターンシップに参加することで実務経験を積みます。

その背後にあるのは、欧米の人々にとって会社は、キャリアを形成するという過程で必要に応じて転職を繰り返しながら、渡り歩いていくものであるという価値観です。つまり企業にとって、研修などを行って人材を育てても、その人材はすぐに外の会社に移ってしまうので、なんのうまみもないのです。

 

このように、日本は日本に合った「潜在能力採用」を、欧米は欧米に合った「即戦力採用」とういうやり方で採用活動を行い、学生はそれに合わせた就活の方法を取ってきました。

 

しかし、この状況も昨今のグローバル化ベンチャー企業の台頭、さらにはシャープや東芝などといった大企業の経営の揺らぎを見ていると、どんどん変わっていくんだろなと思わされます。

 

大学生が好きなだけ遊べる時代も、そのうち終わってしまうかもしれませんね。

 

終わり

 

追記(2016/3/31)

日本の仕事と海外の仕事の違いを詳しく説明している記事を見つけたので、そちらのリンクを掲載しておきます。

globalbiz.hatenablog.com

 

おわり

 

 

スイスの雪山で学んだ、3つの人生の道

初めまして、とよです。

 

さてさて、初ブログの内容がこれかって感じですが、今日は去年の12月に訪れたスイスの雪山、マッターホルンでの出来事と、そこから学んだ「人生の道」とは、ということをお話ししたいと思います。

 

先日、友達とスイスのマッターホルンを見に行った時、雪山を歩いている最中にあることを思い付きました。それは、道には3種類の道があるんじゃないかってことです。

それは

1.みんなが通った道。遠回りになるかもしれないが、目的地にほぼ確実にたどり着くことができて安全な道。

2.誰かが通った道。少し危険ではあるが、目的地への行き方がわかっている道。

3.誰も通ったことがない道。一番の最短距離かもしれないだが、危険が多く、たどり着くことができるかもわからない道。

です。

どうしてそう思ったのかというと、その時の僕らは、マッターホルンの近くに、逆さマッターホルンが水面に映る湖があるという話を聞き、それを見に行こうということになりました。その場所の近くまでには登山列車で行ったのですが、そこからはiphoneGPSを頼りにその湖を目指すことに。全面雪に覆われていて方向があまりわからなかったこと、GPSがうまく作動しなかったことによりしばらく右往左往したのですが、最終的にたぶんあそこらへんに湖があるだろうと検討をつけることができ、そこを目指すことになりました。そして、その時に選択肢として挙がったのが以下の3つの方法です。

1つ目が、みんなに踏み固められて「道」になった道を行くこと。目的の場所に着くにはかなり遠回りになるが、道として整備され、比較的安全で必ず目的の場所にたどり着くことができる道です。

2つ目が、雪の上に付けられた、誰かの足跡の上を踏んでいく方法です。一度踏み固められた雪面を行くことになるので、足場が比較的安定しており、また底がある程度見えているので、いきなり腰まで雪にはまってしまうっていう危険は少ないです。また、その足跡が目的地まで続いていたので、目的地にもほぼ確実にたどり着くことができそうでした。

3つ目が、誰も歩いたことがない未踏の雪面を、目的地に向かって一直線に進む方法です。この方法は、雪の深さが予想できないからいきなり腰まではまってしまうこともあるし、いちいち埋まった足を雪から引っこ抜かないといけないので、めちゃくちゃ体力を使います。かかる時間は未知数。問題がなければめちゃくちゃ早く着くかもしれないし、途中で雪にはまって遅くなってしまうかもしれない。その上何かの障害で目的地にたどり着くことができないかもしれない。

結局その時、僕は1の選択肢を、友人は2の選択肢を選びました。まあ賢明な判断だと思います。そしてお互いほぼ同じ時間に目的地に辿り着いたのですが、ここでさらに問題が発生しました。目的地としていたiphoneGPSが指し示す場所には何もなかったのです。そこで、あたりを見回してみると50メートルほど先に、逆さマッターホルンについて書いているらしい看板が見えました。ただ、そこに至るまでには、誰かに踏み固められた道も、誰かの足跡もありませんでした。しかし、すでに1時間ほど探索を続けていたこともあり、僕たちは執念でそこを目指すことにしました。つまり、第3の選択肢である、誰も歩んだことがない雪面を行くことにしたのです。

 

想像に難くないかもしれませんが、めちゃくちゃしんどかったです。実際に何度か雪に埋もれました。それでも友人と、時には愚痴り、時には笑い、時には突き飛ばし合いながら、何とか看板までたどり着くことができました。そして看板を間近で見た僕たちは、あることに気づいてしまいました。逆さマッターホルンが映る湖は、僕たちが散々歩いてきた雪の下に埋まってしまっていたということです。

 

今までの1時間半の努力が徒労に終わったわけですが、アドレナリンのせいか、友達と二人で大爆笑をし、写真を取り合いました。今後冬のマッターホルンに行かれる友人がいらっしゃったら、冬の逆さマッターホルンめっちゃきれいらしいよ!なかなか見つからないらしいけど頑張る価値はあるらしい!と教えてあげてください。

 

それはさておき、僕は冒頭で道には3種類の道があるんじゃないかって話をしました。

1.みんなが通った道。遠回りになるかもしれないが、目的地にほぼ確実にたどり着くことができて安全な道。

2.誰かが通った道。少し危険ではあるが、目的地への行き方がわかっている道。

3.誰も通ったことがない道。一番の最短距離かもしれないだが、危険が多く、たどり着くことができるかもわからない道。

です。

これは、いわゆる「人生の道」にも当てはまるんじゃないかなって思います。

個人的には、1か2の人生の道を歩むことが、費用対効果が大きく賢明かと思いますが、ただこれはあくまで自分より先に「目的地」にたどり着いた人がきちんと存在する場合のみ選ぶことができると思います。

例えば、僕がスイスの雪山で経験したような、「誰も到達したことがない場所」に行きたいのならば、図らずしも、3の危険に満ちたエキサイティングな道を歩んでいかないといけないということです。

どの道を選ぶかは、どんな「目的地」に行きたいか次第ですし、それを決めるも決めないのも自由です。

 

かなり余談ですが、自然が好きな方はスイスに行かれることをお勧めします(物価のせいで少々高くつきますが)。都市の美しさが有名なヨーロッパにおいては、数少ない自然が素晴らしい場所です。この景色をもう一度見たいから、まだ死ねないなって思えるような景色がそこにはあります。

 

スイスの宣伝はこれくらいにします。就活を直前に控え、「目的地」を考え直す機会があったので、せっかくだから記事にしてみました。

おわり

(写真は夏の逆さマッターホルンと僕らが見た逆さマッターホルン。そしてその看板)f:id:inuneko690121:20160314070900j:plain

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